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小さなギルドの物語

MMO シルクロードオンラインのINDUSサーバーで遊んでいる「千寿丸」とその仲間の物語。ブログ始めたばかりは小さなギルドでしたが・・・・・ww ついでに、たまにリアルな記事も書いてます^^

04 / 20 Sat 17:41  ×
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06 / 16 Tue 18:30  ×

平成21年6月14日、2代目タイガーマスクであり、プロレス団体「ノア」の創設者であり社長だった、三沢光晴さんが、プロレスの興行中の事故で他界されました。




プロレス全盛期まではいきませんが、プロレスがゴールデンタイムに放送されてた頃が、少年期だった自分としては、三沢は本当にヒーローでした







 

ところで皆さんはプロレスはどんなものか知っていますか?





プロレスは格闘技であり、最近はK-1などに押されて人気は低迷しています。


その理由に、K-1は真剣勝負であり緊迫した試合が面白いがプロレスは試合の流れが決まっており、どちらが勝つかは、試合前に決まってます



そうです。言ってみれば八百長なんです。



そのため勝つほうが決まっているプロレスをしているプロレスラーは、弱いと軽視されがちです。
実際、俺もそう思った時期がありました。





しかし、それは大きな間違い と、ある本を見て気づきました。



もし、あなたがK-1の格闘家やプロボクサーとします。試合中に、相手があなたにパンチをしてくるのが見えました。あなたならどうしますか?

答えは簡単です。相手がパンチを出してくるのが見えたなら、避ければいいのです



しかしプロレスは違います。相手の技を受けなければいけません。相手の技を受け、自分の技を出して試合を進め観客を喜ばせる。
いってみれば、K-1などは勝負を楽しみ、プロレスは技などを楽しむ。格闘技でもありエンターテイメントでもあるのです



人気プロレスラーは必ず自分の必殺技を持っています。力道山の空手チョップに始まり、ジャイアント馬場の16文キック、アントニオ猪木の卍固め、ブッチャーの地獄突き、ジェット・シンのサーベル、グレートカブキの毒霧、長州力のサソリ固め、タイガーマスクの空中殺法、スタン・ハンセンのウェスタンラリアット、キン肉マンのキン肉バスター、三沢のローリングエルボー、ジャンボ鶴田のジャンピング・ニー・パッド、越中のヒップアタックなどなど・・・・

俺の古い記憶だけでもたくさんあり、どれも危険で受ければものすごい衝撃だと思います。その技を受け止めてさらに自分の技も出す。さらに近年のプロレスは、技も過激になり危険度は、かなりのものだと思います。



それを真っ向から受け止めながらも、試合を続行し流れを絶やさない・・・・・そのためには、相当に鍛えなければならないのです

しかもK-1はあっても年に1~2回に対して、プロレスは週1のペース。このような過酷なスケジュールをプロレスラーは続けているのです。


それだけ、プロレスラーは強くサービス精神に溢れ忍耐強い人たち だと皆さんに知ってもらいたいです。



三沢さん は、試合をこなしながらさらに、社長として経営もしていかなければならないし、ニュースで知りましたがプロレスラーの福利厚生や新人育成にも力を入れていたそうです。
そこまでするには、相当な体力・気力が無いとできないと思うし、それだけプロレスを愛していたんだ と思います。
 三沢さんの訃報はプロレス団体の垣根を越えて衝撃を与え、全国を駆け巡りました。




俺もプロレスの熱狂的ファンとまではいきませんが、いちプロレス好きとして、プロレスを愛しその発展に尽力した三沢光晴さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。

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FBさん。貴方はすごいよww
こんな情報、どこから持ってきたんですか・・・・目から汗がとまらないぜ( ┰_┰) シクシク

三沢さんは、本当にいい人ですね。技をかける時もちゃんと相手の頭を丸めるようにして落してる・・・・丁寧な技のかけ方してるのがよく解るね・・・

三沢VSジャンボ・三沢VS小川の頃はよく見てたな~~~。おそらく時間は深夜になってたが、一人で叫んでた記憶がww

やっぱあのローリングエルボー!! ┌(”  )┘彡 -=≡o(”>_<)っ★(#’3’)は、カッコイイ・・・・・・・・


ん?


んと、三沢って誰?よくわかんない…って人の為に(嘘)

読むだけで目の前に光景が思い浮かんで少し幸せになれる三沢選手の逸話
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「理不尽大王」として活躍していた冬木弘道が突如三沢を標的にし、対戦を避ける三沢に対し、三沢を乗せたバスを走って追いかける、事務所までマラソンをする等のドラマを展開。三沢も、プライベートでは全日本時代から親友で、ノア旗揚げ時にも(社長レスラーの先輩として)助言を仰いだ冬木の熱意に応じて2002年4月7日にシングルマッチを行った。その翌日、病院の検査で冬木が大腸癌に侵されていた事が発覚。FMWが崩壊し、新団体WEWの旗揚げにも至っておらず基盤を持たない冬木の為に三沢はディファ有明の空いていた4月14日をすぐに確保し、ノア主導で冬木の引退記念興行を打った。そして、その収益の全てを冬木に贈ったそうである。後に三沢はこの事について「別に深い意味はないですよ。冬木さんは大切な友達だからですよ」と述べている。


2001年2月、当時ノア所属選手だった高山善廣が総合格闘技(PRIDE)に進出する際、高山が準備期間が欲しいため退団を申し入れた。この時三沢は「別に準備期間が欲しいならうちの所属でも構わない。その期間は欠場してもいい」「プロレスをまだ続けたいなら、いつでも帰ってきていいよ」と語り(高山が自書にて告白)相手を思いやる社長ぶりを見せた。その為高山も他団体に比べるとメインでの活躍が少ないにもかかわらず義理を重んじノアのリングに上がり続けたり、休養中もゲスト解説としてノアとの関係を良好に継続している。復帰戦をノアで行ったのも三沢の人柄によるところが大きかったと思われる。

思慮深く礼儀正しい蝶野正洋とはお互い団体所属の一選手でしかない時代に、週刊プレイボーイの対談で会って以来、意気投合。まだ全日本と新日本のライバル関係が色濃く残っていた時にもかかわらず、「もう、猪木さんや馬場さんの時代じゃない。オレらの世代が自分で動いてプロレス界をなんとかしなきゃいけない」という蝶野の言葉に、「今は難しいかもしれないけど、いつかお互いが責任を取れる立場になったら蝶野選手とだったら協力できる」と返している。その約束を果たす意味で実現させたのが、後の新日本との交流戦である。そこでは一騎討ちを行ったが、後のドリームタッグ結成の時はベビーフェイス(三沢)とヒール(蝶野)の立場を超えて初タッグとは思えない巧みな連携を見せた。またノア初のドーム大会において個人的に三沢を訪れ対戦要求の挨拶を行った小島聡の誠実さを気に入り一騎打ちを実現させるすべく、分裂以降絶縁状態でもう上がる事は無いだろうと言われていた全日本リングに、7月18日の両国国技館で再び足を踏み入れた。


『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』で、「幼稚園児に民話『おおきなかぶ』のエピソードを実体験してもらおう」という企画が行われた際、幼稚園児と綱引きする「かぶ」の役として三沢が登場。いつもの緑のリングコスチュームに加えて「かぶ」のかぶりものを頭に装着し、満更でもないような笑顔を見せ、最後はよってたかって綱を引く幼稚園児たちの力に負けて、地面にひきずられてしまう三沢の姿がゴールデンタイムに放映された。全日本所属選手がバラエティ番組に登場するようになった最初期だったということもあり、この企画はファンの間でしばらく語り草となり、三沢を「かぶ」と呼称する事も流行した。なお、この被り物は本来、小橋建太が行うはずだったが、当日高熱を出してしまったため三沢が代役で出演した。


真面目な印象が強いが、一方でプロレス界一の下ネタ使いとしても知られ、プロレス雑誌の読者投稿欄では三沢の下ネタ・エロネタが定番となっていたほどである。積極的にテレビ出演を始めた当初は寡黙なキャラを守っていたが、次第にテレビ慣れしてきたのか「(小橋と組んで負けた試合の感想を問われ)小橋には、先にイッチャッテごめんね、という気持ちです」「俺おっぱい星人じゃないから」「ぴこぴこぴーん(男性のシンボルが元気になった時の三沢独特の擬音表現)」「(他団体の)プロレスのビデオ見るくらいならアダルトビデオ見たほうがいいよ」などの下ネタ関係の発言を連発。全日本所属時代に大学の学園祭に何度も招聘されていたが、そこで行われたトークショーでも下ネタを頻発している。DJとしてオールナイトニッポンに登場した際には内容の殆どが下ネタトークだった他(別のラジオ番組で、小橋がリスナー名で電話かけてきたのを「お前小橋だろ!」と看破し、そこから下ネタで弄り倒した事も)、「踊る!さんま御殿」は下ネタ御法度であったはずが結局大ウケし、「今週の踊るヒット賞」を獲得。同番組で「エロ社長」の異名をとり、飯島愛からは「爽やかな下ネタ」と評された。三沢の下ネタは受けが良く、それを楽しみにするファンも多かったが、一方で「(寡黙で真面目な)イメージが崩れる」等の批判が上がっていたのも事実であり、その件で渉外部長の仲田龍から「バラエティ番組出演禁止令」が出された。


オタク関係に相当造詣が深い。ホビー専門誌で特撮ヒーローの人形収集の趣味がある事を明かしている。また、カラオケに行くと子供時代大好きだったマイナー特撮ヒーローの主題歌を歌い、誰も知らない為、周りの人間は少々困るらしい。また、何人かの若手は「遠征中、ドライブインに寄るたびに三沢社長にガシャポンをやりにいかされる」と暴露している。


タイガーマスク時代、その跳躍力を買われていた三沢は、先輩レスラーに「お前なら走ってくる車を飛び越えられるだろう」と言われ、おもむろに車道へ出て、向かってくるタクシーを飛び越えたというエピソードがある。
タクシー飛び越えは、様々な逸話があり、日本国外遠征中に試合会場から帰る際に先輩に「タクシーをドロップキックで停めろ」と命令されて先輩の命令で仕方なく走るタクシーに向かいドロップキックを放ったところタクシーを飛び越えてしまい、それを知った馬場が三沢を帰国させて2代目タイガーマスクに任命したという逸話もある。


タイガーマスク説で一番有力なのは、日本国外遠征中馬場からの国際電話で「三沢、お前トップロープに立てるか?」と言われ「はい」と返事をしたところ「じゃ、すぐに帰国しろ」と言われ帰国後すぐにタイガーマスクになったというのが一番有力と言われている。


1993年の日本武道館大会での三沢対川田戦において、そのあまりに激しい攻防にテレビ解説していた馬場が「試合展開が高度すぎて、もう私にはわからない」と思わず漏らした。


非常にオープン過ぎる性格で自著などで自分の性経験から風俗歴まで語ってしまっている。現夫人が出来ちゃった結婚である事も明かしていたり、膝の負傷時にも担当医に「正上位が出来ないじゃないですか」と冗談であるかは不明であるが語っていたと言う。

1998年の三沢対小橋の三冠戦では、史上最高の激闘を見せて、解説の馬場が何も喋ることなく涙を流したという逸話がある


触れられることが少ないのだが、三沢はかつて全日本のNo.1,2,3であった、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎の三人からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラーである。ただ馬場の時は「親子喧嘩に勝っただけって気がして、切なかった」と語っている





おぉ…(T0T)
2代目タイガーほんと残念;;

プロレスラーはほんと過酷ですね…

私も御冥福、心から謹んで御悔み申し上げます。


あぁ~スパルタンX(三沢の入場テーマ曲)が聞こえるよ・・・

あ、タイガーマスクを川田の手を借りながら…自ら脱ぎ捨てたよ…

うぉ~相手の体を抱えて持ち上げて…反転させてドォーン!(エメラルドフロージョン)


千さんへ

<スパルタンX>
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm2977726

<三沢vs小川>
ttp://www.youtube.com/watch?v=t92tcNjdstU&hl=ja

<三沢vsジャンボ鶴田>
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3653945

<2代目タイガーマスクデビュー戦>
ttp://www.youtube.com/watch?v=wpdNsl43jyM&hl=ja

<三沢光晴 必殺技集>
ttp://www.youtube.com/watch?v=5WW20FvFzjA&hl=ja



あかん・・・泣きそうになってきた・・・orz




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